水を探る
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九州大学次世代接着技術研究センター
山本 智教授に聞く
山本 智教授に聞く
Talk: 6
九州大学次世代接着技術研究センター 山本 智教授に聞く
photographs:HARUYO ITO
コロナ禍で何度も目にした大量の飛沫が拡散されるスパコン「富岳」の映像を覚えている人も多いのではないでしょうか。分子シミュレーションという、分子や原子間に働く力をもとに物質の挙動を解明する手法を用いたもの。同じように分子シミュレーションを使って、モノとモノの「接着」について研究を行っているのが、九州大学次世代接着技術研究センターの山本智教授です。モノの接着には水も大いに関係しているようで、山本教授に伺う分子シミュレーションで見る「水の世界」は、かなり面白そうです。
分子シミュレーション画像を最初に見たとき、目に見えないものの動きをどうやって再現しているのかと、とても興味津々でした
山本分子シミュレーションは「計算科学」ともいわれ、コンピューターシミュレーションを駆使して、物質の性質や機能を解き明かそうとするものです。中でも「分子動力学法」というのを私はよく使っています。簡単にいうと物質を構成しているおおもとは原子ですが、原子間にはいろいろな力が働いているので、それをもとに原子や分子の動きを計算で導き出す方法です。力をもとに運動方程式を立てて、時間が進むことでどう変化するかを計算によって導き出す。仮想実験という言い方もできると思います。
原子の特性や原子間に働く力を数値化してシミュレーションする。やはりなかなか難解なイメージですが……
山本でも、扱っているのは身近な素材なんです。特に分子量の大きい「高分子」、ポリマーともいいますが、そういう素材で、例えばゴムも高分子です。ゴムを引っ張ると元に戻りますが、高分子は伸びている状態よりも熱運動によって丸くなろうという性質があるから縮むんですね。ゴムを温めると硬くなるのをご存じですか?
ええ、確かに硬くなります。でも、考えたら普通の材料って温めると軟らかくなりますよね
山本そう、でもゴムは硬くなる、その理由も熱運動によって丸くなろうという性質によるもので、温めると分子の熱運動が激しくなって縮もうとする力がより強くなるため硬くなるんです。分子シミュレーションを使うことで、身の回りで起こる現象のメカニズムを明らかにしたり、あるいは材料の中で起こっていることがわかったりします。さらに、その機能や性能をよくするためには分子スケールでどういうことをすればよいかなどを研究できるんです。
山本さんの今の研究テーマは「接着」と伺いました
山本そうです。例えば、接着剤が固まったときにくっつくか、くっつかないかは、相手の表面によって決まります。よく接着剤の注意書きに〇〇にはくっつきませんと書いてありますよね。例えば、ポリエチレンやポリプロピレンはあまりくっつかない素材ですが、それには理由があって、ポリエチレンの表面は分子がキレイに配列していてツルツルでほとんど相互作用をしない。だからぎゅーっとくっつけようとしてもくっつかないんです。
どんなモノや成分ともくっつかないのですか?
山本一般的に似たもの同士はくっつきやすい性質があるんですが、同じポリエチレンをくっつけてもつかない。ただ、温度を上げるとくっつくんですね。そういう条件や、相手によってついたりつかなかったりするので、いかにくっつけるかというのも接着のテーマの一つです。
接着の世界がすごく面白そうに感じてきました
山本例えば、A液とB液を混ぜて固める二液系の接着剤がありますよね。エポキシ樹脂、エポキシ系の接着剤なのですが、混ぜるとすぐ反応が起こり固まり始めてしまうため、使う直前に混ぜる仕様になっています。このとき、何が起こっているかというと、主剤の分子と硬化剤の分子がどんどん化学結合をしていって3次元的なネットワークを作りガチガチに固まるわけです。でも時間が経つと空気中の水分子が浸透してしまいます。
ガチガチに固まった樹脂の中に水が入るということですか?
山本はい。エポキシ樹脂は湿熱劣化といって水を吸ってだんだん性能が落ちてくる素材で、固まったエポキシ硬化物を置いておくと空気中の水が時間をかけて染み込んでくるんです。それによって材料が軟らかくなってしまったり、分子鎖を切断して劣化させたりと悪さをするので、中に入った水がどんな「ふるまい」をするかを知ることは非常に重要です。それを研究した結果がこの図なのですが、エポキシ硬化物には1nm(ナノメートル)に満たない程度の大きさの空間が存在します。緑色の部分で我々は「自由空間」と呼んでいますが、ここは、水素結合をすることによってより安定に存在することができる「水分子が好きなサイト」で、水はこういうところにいるんです。ただ、ずっとここにいるわけではなく時間と共に場所を変えて動きます。その動き方が、普通に拡散するのではなく、隣の自由空間に飛び移るホッピングするような運動、拡散の仕方であるということを我々の研究で突き止めました。
1nmというすごーく小さな空間に水がいて、さらに別のスペースへジャンプして移動するということですか?
山本そうです。水は数分子で集合していますが、突然バーンとどこかへ飛んでいくといった動きをします。水素結合ができる場所があるからだと思います。OH(ヒドロキシ基)という水素結合する相手がいると水は引かれていき、そこで安定化します。温度があるためじっとはしていなくて、そこから離れて水素結合するOHがあるところへと移動すると居心地がいいのでしばらくいる。動きながら水素結合するところに飛んでいって止まるという感じだと思います。
これは水ならではの動きなのですね
山本分子シミュレーションをやっていると「水はすごいなあ」と思うことがよくあります。水は100℃で沸騰するのは当たり前のことのように考えられていますが、分子的にはすごく特異的です。例えば水が沸騰するとき、温度が上がり分子の運動が活発になり、液体にとどまれなくなって飛び出すわけですが、このときの温度「沸点」は分子が大きくなると高くなる傾向があります。でも、水は「硫化水素」や「メタン」と比べて分子量は同じくらいなのに沸点は100度以上高いんです。
水の沸点は異常に高い
水は分子量が小さいのに沸点が高い?
山本それも水素結合のなせる業です。水分子は、ご承知のようにH2Oで分子図を描くと酸素原子と水素原子2つが結合した形をしています。分子量は18でサイズは0.3nmぐらいです。原子上に「電荷」のプラス・マイナスがあり、δ−(デルタマイナス)とδ+(デルタプラス)という記号で表されます。酸素が原子単位でマイナス0.8、水素がプラス0.4ぐらい。プラスとマイナスは引き合うため、周囲に同じように水分子がいると引き合って強い引力が働いた状態になります。この水素結合があるため、なかなか液体から飛び出せない。沸点が高いのはこれが理由です。
水素結合ってすごいんですね
山本ええ、今、「微細な水粒子」を研究していて、仮に「3nmの水滴」を作ってみました。「約1000個の水分子」を集めるとそれぐらいの大きさになります。これはこれで安定なんですが、中を覗いてみると周囲の水分子と至るところで水素結合を作りガチガチに引き合っているという状態です。これを分子シミュレーションで動かすことができるので、本当にこの形が安定に存在するか、ということを調べました。すると、水分子は動くんですがお互い水素結合で引き合っていますのでバラバラになることはなく形を維持していました。
他の物質だとそういう動きにはならないのですか?
山本比較のために、同じぐらいの分子の大きさの「メタン」(分子量16)で同じ1000個の分子でやってみました。熱運動がなければ凝集した丸い状態というのは一つの安定な状態ですが、室温で運動させるとあっという間に飛び散ってバラバラになる。メタンは気体なので当然ですが、水が水素結合で形を保っているのとは対照的にメタンの分子はバラバラになってしまう。水は分子量が小さくても水素結合によって気温の高い状態でも液体の水として保っていられるのがすごいですよね。それに、もう一つすごいのは水は相手によって形を変えることです。
相手によって形を変える、というのは?
山本例えば、車を洗車してコーティング剤を塗った後に水をかけるとコロコロと水滴が転がります。でも、毎日車に乗っているとだんだんべったり水がつくようになってくる。水は同じなんだけど、相手の状態が違うため水の形が変わるのです。
若い頃の肌は水滴が転がるのを思い出しました(笑)。先ほど樹脂の中で水が好きな場所に動くというお話がありました
山本好きな場所に動くというのは、相手によって水が変わるということでもありますよね。科学的に相互作用というのは、相手とどのような力が働くかという話なので相手が変われば変わりますが、中でも水は相手によって特に変わると思います。それを示したのが下のシミュレーション画像です。上は表面の素材が疎水性といって水が嫌いな表面。下は、親水性という水が好きな表面です。上は水が飛び出しますが、下は表面に濡れ広がるのがわかると思います。
飛び出た水の動きがこんなに違う
これは、この素材の中に水がいて飛び出すということですね
山本ええ。これは性質の異なる2つの素材が混ざり合ってできている膜で、しかも疎水的な素材と親水的な素材が混ざり合っています。ナノサイズのスケールで見ると水が入る隙間があり、2つの異なる素材の中を水が動いていき、膜の表面の1〜2nmぐらいの穴から出てくるイメージです。実は、この膜は金属の基板の上にコーティングされていて、基板を通電で加熱させると中の温度が上がって水が膨張して、その結果、この細孔から水が出てくるという仕組みだと考えられています。というのも、これは株式会社アイシンが開発した微細な水粒子を放出する独自の技術で共同研究をしているのですが、アイシンが開発したのは上のモデルで「膜の表面が疎水性」ということが大きなポイントだと考えています。
膜の表面が親水か疎水かで水の動きがこんなに違うのですか
山本簡単にいうと、水は疎水性の表面が嫌いで、水同士で集まっている方がエネルギー的には安定になるため飛び出します。親水性の場合、水と接する表面にOHが出ていることが多く、水はOHが好きなのでくっつこうとするため濡れ広がってしまうわけです。
科学的に物事の現象というのはエネルギーが重要で、エネルギーが下がる方向へと進んでいく。つまり、形が変わったり現象が進んでいくには必ず理由があるんです。水の研究において「水素結合」と「表面がどういう状態であるか」というのが非常に大事であるということが、このシミュレーションでわかると思います。
表面が疎水的なので、水粒子は空気中に飛び出していくわけですね。その先はどうなるのでしょうか
山本しばらくはそのサイズを保っているのではないかと考えています。
先ほどの3nmサイズの水粒子も形を保っていましたが、空気中で水粒子が一定のサイズを保ち続けることは可能なのですか?
山本可能ではないかと思います。水が蒸発するときって、最初は大きな水滴がだんだん小さくなって消えていくというイメージですよね。ただ、そのときの水滴は1mm(ミリメートル)とか数百μm(ミクロン)といった大きいサイズで、蒸発してだんだん小さくなって目に見えなくなった後のことはわからない。逆に考えると、2〜3nmの微細な水粒子は最初からものすごく小さいサイズなので、そのままで安定しているかもしれない。水素結合があることを考えると、ある程度水分子が凝集した状態で空気中に飛ぶことがあると想定できるのではないでしょうか。
面白いですね。一つ思ったのは、原子って裏切らないものなのか。つまり正しい数値を正しい計算式に当てはめられれば本当に再現できるのか、ということなんですが……
山本原子が感じるポテンシャルエネルギー、つまり物体が「ある位置」にあることで物体に「蓄えられる」エネルギーについては正しいと思います。ただし、それはcm(センチメートル)などの大きい材料についてで、この水粒子のように3nmというサイズだと、計算機の中で扱うことができる長さが、現実系に比べるとすごく小さい。その場合、計算結果は正しいのですが、現実の世界と比べたときにそれが正しいかについてはもう一度考えないといけないと思います。「その中」で起きていることは正しいけれども、実際に「ここ」で起きていることと一緒かどうかはわからない。一緒だということを証明するためにいろいろと条件を変え、ケーススタディを探索して、最終的に一緒だといえるようになれば、間違いなく起こっている現象だと思います。
逆にリアルな実験とシミュレーション結果が異なることもあるんですか?
山本あります。実験結果と逆の結果になることもあります。たいていの場合、シミュレーションの中で考えていなかったことや無視していた条件などが原因ですが、なぜそうなるのか、何が原因かを突き止めていって気が付かなかった要素にたどり着いくこともある。そういう発見はうれしいですね。リアルな実験結果とシミュレーション結果が一致したり、新たな発見があって感謝されたり、物事のメカニズムがわかっていくのも楽しい。そういう点では、先ほどの微細な水粒子についても足りないことがあるかもしれないので、引き続き探っていきたいですね。
実際に起きていることを解明するには、環境要因などのさまざまな条件をクリアしなくてはならないわけですね
山本シミュレーションにおいて重要なのは、どんな仮説に基づいて、どのようなモデルを立てて、どのような計算をしているかということを理解して、初めてそれが信じられるものかがわかるという点ですね。現在では計算機はどんどん進化しています。5年で10倍という速さで性能が上がった時期もありました。ただ、ここ10年ぐらいはCPUの性能が頭打ちになり、数を増やすことでより効率的で高速になるというのが最近のトレンドです。「富岳」が有名ですが、その前の「京」は1個1個のCPUの速度よりも何百台も並列化することによりスピードを加速させている、そんなシステムです。
もともとシミュレーションのソフトなどの開発もされていたのですよね
山本最初は車のバンパーなどに使われる樹脂部品の材料を溶かして型に入れて固めるときのシミュレーションソフトを開発していました。若い頃は自分でソフト開発をしたりしていたんですが、自分で作るよりも市販のソフトの方が使い勝手がよくなり、手法自体を開発するというよりそのソフトを使ってわからないことを解決するというのを研究テーマにしてきました。ダッソー・システムズに入社した頃から、接着をテーマにするようになりました。いろいろな材料をシミュレーションして、リアルで実験を行っている人たちが疑問に思っていることに対して、仮説の提案や証明を行うというのが主なミッションですね。
分子シミュレーションで明確に数値化されることで証明されたり、新たな発見があったりするわけですね
山本シミュレーションは、物理に基づいて原子の運動を解いた結果で見えるもので魔法でも何でもないんです。普段、研究するときは実験を行い、それを分析して様々なデータから現象を考えて推測したり事実に迫ろうとしますが、シミュレーションも全く同じ、一つの実験ツールです。
例えば、燃料電池自動車に使われる材料について、実験から推定されていた材料内部の構造がなぜそうなるかをシミュレーションで明らかにして、それによってさらなる性能向上に向けた材料の開発につながったことがありました。実験ではこうなんだろうと予想されていたけれど証明できていなかったメカニズムを、シミュレーションで明らかにしたことはこれまで多くあり、それが新たな技術や発見につながっていくんだと思います。
小さい頃から数学とか難解な問題を解くのはお好きでしたか?
山本数学で難しい問題を考えるのは好きでした。周りから何を考えてるかわからないと言われるような変な子どもでしたけど(笑)。エジソンみたいに家の中にあるものをよくバラバラに分解して。なぜそうなっているのかわからないことを解き明かすことにワクワクしていました。まさに、わからないものを解き明かしたい一心でこの仕事を始めて30年以上になりますが、最近ようやくこの分野に携わる人が増え、理解が広がってきた気がします。もっと様々な場面でシミュレーションを使ってもらえたらと思っています。
このお仕事はまさに天職といえるのではないですか
山本そうですね。今、JST未来社会創造事業で「界面マルチスケール4次元解析による革新的接着技術の構築」というプロジェクトを行っているのですが、これは分子スケールだけでなくマクロスケールのシミュレーションまで、時間と共に固まっていく接着剤の硬化する過程をも含めて4次元で解析し、革新的な接着技術を構築するのを目的としています。通常、年齢的には指導する立場になり自分で研究できなくなるのですが、ここでは研究したり論文を書くことができる。日々、新しい発見もあって楽しいですね。まだまだやめられないと思います。
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